ヨシズ産業

渡良瀬遊水地の湿地帯が育む質の高いヨシ文化の継承

 明治40 年(1907年)に谷中村が廃村になり、人が住まなくなった土地や耕作地には、度重なる洪水で土砂や水が堆積し、良質なヨシが自生するようになりました。ヨシズ作りが大きな産業になったのは、その頃からのことになります。ヨシは、12月から翌年3月に収穫し、加工されます。以前は、生井地区でも100軒近くの農家が、農閑期である冬期の収入源としてヨシズづくりを盛んに行ってきましたが、昭和50 年後半から輸入品やビニール製品が普及してきてヨシズ産業は衰退。今では1軒を残すだけになりました。

 小山市では、市内小学校へのヨシズ設置をはじめとした、ヨシ紙やヨシ堆肥づくりなど地場産業の振興ににつなげています。

昭和30年頃から使われているヨシ編みの機械
昭和30年頃から使われているヨシ編みの機械

 渡良瀬遊水地周辺で生産されるヨシズが全国の約7割を占めていたと言われています。その中でも生井地区のヨシはとても質が高い良いと評判で、資材として今も出荷されています。ヨシズの生産は、昭和30年頃から手編みから機械編みに移行しましたが、今でもその当時の機械が現役で活躍しています。

ヨシ刈り

 

ヨシ刈りは、12月から翌年3月のヨシ焼きまで、天気の良い日は毎日のように行います。渡良瀬遊水地周辺のヨシ原の中でも生井のヨシは、1年経ってもヨシが黒ずむことなく、堅くてまっすぐな質の良いヨシを収穫することができます。

ヨシ焼き

 

ヨシ焼きは、ヨシズ生産が盛んになった昭和30年代頃から行われています。もともとヨシズの原材料となる良質なヨシを育てるための病害虫の駆除を目的として始められましたが、最近ではヨシ焼きをすることによって渡良瀬遊水地の豊かな湿地環境が守られていることが解ってきました。立ち枯れのヨシを焼くことで、ヨシが大きくなる前に花や実を付ける植物の芽生えの機会が与えられます。また、発芽した若いヤナギがヨシ焼きにより焼かれるため、樹林化を防ぐことができ、現在のような広大なヨシ原が維持されています。

ヨシ焼き風景(渡良瀬遊水地第2調節池フォトコンテスト最優秀賞「人波のヨシ焼き」海老沼清一郎)
ヨシ焼き風景(渡良瀬遊水地第2調節池フォトコンテスト最優秀賞「人波のヨシ焼き」海老沼清一郎)